田中啓治 先生

Title:脳科学最前線入門

田中啓治(たなかけいじ)
理化学研究所・脳科学総合研究センター

 

 最近の脳科学の目覚ましい進展は新しい研究技術の開発に依るところが大きい。そこでこの講義は技術開発が脳科学をどう変化させているかに焦点を当てる。極めて多数の神経細胞で構成される脳神経系においては、情報は細胞集団の活動パターンにより表現されていると想像される。2光子励起顕微鏡とカルシウム濃度感受性色素による神経細胞の3次元・網羅的記録方法が開発されて新しい時代が始まった(1)。ひとつの試行の中で神経細胞集団の活動パターンがアトラクターへ向かってダイナミックに変化する様子などが示されつつある(2)。また、遺伝子操作法により特定の神経細胞種にだけカルシウム濃度感受性色素を発現させてイメージングする方法も開発され、第一次視覚野の抑制性細胞の方位選択性とその空間分布などが調べられつつある。しかし、カルシウムイメージングには、細胞内のカルシウム濃度の変化が比較的ゆっくり起こる(10~250ミリ秒の立ち上がり時間)ためミリ秒単位での活動電位の時間経過を正確に捉えていないという限界があり、膜電位感受性色素を使う方法の感度向上が期待されている。
 神経細胞およびその集団による情報表現から行動への因果関係の検討には、神経細胞の活動を人工的に引き起こす、あるいは抑制する方法が必要である。イボテン酸注入による細胞破壊法やムシモル注入による一時的機能ブロック法が用いられてきたが、光遺伝学の開発で新しい段階が始まった。遺伝子改変動物系統の作成やウィルスベクターによる遺伝子導入で、光子を受けて細胞を興奮させるチャネルロドプシン、あるいは抑制するハロロドプシンを特定の神経細胞だけに発現する方法である。特定のある脳部位から別の脳部位に投射する神経細胞だけ、あるいは特定の伝達物質(例えばドーパミン)を分泌する神経細胞だけにこれらのオプシンを発現させることが可能になり、神経回路の機能的分解が一段と加速した(3)。さらに、最初期活性化遺伝子を利用して、あるときに活動を上昇させた細胞集団にチャネルロドプシンを選択的に発現させ、光照射で同じ細胞集団を人工的に活性化する方法も開発された(4)。
 上で述べた方法はいずれも侵襲的でヒトに用いることができない。ヒトの脳からひとつずつの神経細胞の活動を記録する非侵襲的計測法が現れるまではヒトでの研究は理論的研究に留めようという「待機論」もあるが、ヒトと動物の違いの大きさを鑑みると、私はこの待機論は間違いだと思う(5)。その時々に可能な最善の方法を用いてヒトでの研究を行い、ヒトでの研究と動物での研究を関係づけていくことが必須である。ヒトを用いた脳研究の中心は今のところは機能的MRI法である。アレイ受信コイルの普及により撮像時間が短縮され、その結果、空間解像度も上がった。機能的MRI法による研究の顕著な最近の展開のひとつに、安静時にゆっくりと(0.1H程度)同期して活動を変化させる脳部位のセット(ネットワーク)の同定がある。課題を実行すると課題の内容によらずに活動を低下させるデフォールトモードネットワークの発見が先行したが、その他のいくつかのネットワークが安静時自発活動の解析により同定されている。解剖学的な結合との対応は緩いが、これらのネットワークは多くの異なる課題でも同時に活動が高まる。課題遂行の中で同時に活動している間に結合強度が高まって安静時にも同期して活動するようになったと議論されている(6)。2010年に始まった米国のヒューマンコネクトームプロジェクトでは、約1100人の正常成人の構造画像と機能画像をそれぞれ4時間の撮像時間で採取し、大脳を180個の領野に区分した(7)。そのうち94個は新しく同定された領野であった。これから行われる個別研究の結果をこの領野マップ上にマップしていくことで、結果の蓄積が促進されると期待される。

参考文献:
1) Hamel EJ et al. (2015) Cellular level brain imaging in behaving mammals: an engineering approach. Neuron 86:140-159
2) Yuste R (2015) From the nuron doctrine to neural networks. Nat Rev Neurosci 16:487-497
3) Kim CK et al. (2017) Integration of optogenetics with complementary methodologies in systems neuroscience. Nat Rev Neurosci 16:222-235
4) Liu X et al. (2012) Optogenetic stimulation of a hippocampal engram activates fear memory recall. Nature 484:381-385
5) Badre D et al. (2015) Interactionist neuroscience. Neuron 88:855-860
6) Petersen SE et al. (2015) Brain networks and cognitive architectures. Neuron 88:207-219
7) Glasser MF et al. (2016) The human connectome project’s neuroimaging approach. Nat Neurosci 19:1175-1187

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